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2.クリエイティブの原点

その後もhideさんは、PV撮影や取材の現場、友人のミュージシャンのコンサートなどいろいろな場面に連れて行ってくれました。プロの仕事と、お酒の味をみっちり教えてもらいました。20歳を迎え、成人式を手荒く祝ってもらったのも良い思い出です。
 
そんな飲みの席では「こいつホームページ作れんだよ」と次々とレコード会社の方など関係者に紹介してくださり、まだホームページデザイナーが希少だった当時、いろいろなアーティストのサイト制作を受注しました。父親は銀行、叔父は証券、数学が得意だったこともあり、将来は金融方面かなと漠然と思いながら文系学部に所属する自分が、絵や歌は下手だけどクリエイティブな方向でもやれるんじゃないか?と思うきっかけになりました。
 
 
当時最大の仕事は、もちろんhideさん自身のホームページの制作・管理。若干19歳にして「夢の仕事」を受注してしまったのだ。大晦日の東京ドームの楽屋で、翌日公開するホームページを本人に納品した時の興奮は忘れられない。
 
そんなhideさんとの仕事こそが、自分の原体験だ。
 
レコード会社やマネジメント会社にとってまだ完全に未知のモノであったホームページ。「こんなことやったら面白くないですか?」「最高!やろう!」とおもしろい提案を投げれば、それが実現してしまう。ほかの誰も介さず2人の関係性だけで、とんでもない速度で意思決定がなされ、インターネットを通じて世の中にアウトプットされ、反応を見て楽しみながら、次の一手をまた考える。
 
このスタイルで、今の自分の広告クリエイターとしてのスタンスが完成した。
 
1つはプロダクトやサービスそのものから逃げず、素材の良さを引き出しプロモートするという考え方。商品(=hide)に心の底から敬意を持って、全力でそれを応援したいと思っている。素材が100点だと信じているから、そこに余計なエッセンスを足すなんてことは不要で、どうストレートに伝えるかだけを考える。今も「広告自体」を面白くしたり、話題にすることなんて微塵も考えていない。愚直に「商品」と向き合い、ストレートに商品の持つ本質的な価値を伝えることを目指すクリエイティブ。この頃に磨かれた、企画をする時の基本スタンスだ。
 
もう1つはクライアントの意思決定者と直接やり合い、本音で議論をするという進め方だ。広告代理店在籍時には、これがいつでも可能という訳ではなかったが、クライアント企業のキーマンの方と二人三脚でやれるいくつかの幸運に恵まれた。このやり方が自分の能力をもっとも引き出すことができると信じているから、独立後は意思決定者と直接お仕事させてもらうことを仕事を選ぶ際の1つの条件としている。
 
しかし、そんな夢のような毎日は、突然、真っ暗闇へと墜落していきます。1998年5月2日、hideさんが永眠されました。
 
その夜も明け方まごいっしょさせてもらっていましたが、偶然、トイレで2人並びゆっくりしゃべるタイミングがありました。「なんか最近悩んでいる風じゃない?就職とかどうするの?」あの時、hideさんはどうして自分が何かに悩んでいるように思っていたのか?未だに自問します。人生の絶頂を感じていて悩みなんてまったくなく、まっすぐな瞳で「hideさんの事務所に就職します!」と即答。するとhideさんはふっと笑った後、すぐに真剣な顔になって言いました。「俺がいるんだから、ロックの世界にはいつでも遊びにくれば良い。せっかく良い大学を出るんだから、日本のど真ん中から世の中を変えてくれよ」と。
 
あの夜のこの場面を思い出すと、嬉しさと寂しさの混じったなんとも言えない感情が湧き上がり目が潤みます。でも、心から尊敬する人に、最後にそんな一言をもらえたなんて、自分は幸せ者です。
 
突如襲ってきた虚無の日々から少しずつ日常が戻っていく中、最初に思い出したのは、最後にもらったこの言葉でした。「よし!日本のど真ん中に就職しよう!」空を見上げて誓いました。決して自信はないけれど「hideさんが才能を見出してくれたんだから!」と言い聞かせ、クリエイティブな仕事以外は選択肢から除外。気がつくと、それまでTVCMなんて意識して見たことすらなかったけれど、電通に就職することが決まり、クリエーティブ局の新米コピーライターとしての仕事が始まりました。